2016年3月28日月曜日

始皇帝と大兵馬俑


九州博物館の始皇帝と兵馬俑をみてきました。期待通りの展示会でした。みどころは本物の10体の兵馬俑と日本に展示のために作ったレプリカ50体が展示されていることです。展示にも工夫が凝らされ、スロープを作りあたかも兵馬俑抗に入ったかのような臨場感を与えています。


兵馬俑は井戸掘りに来た農民が厳粛で精巧な人間の埴輪を偶然に発見したことによります。始皇帝陵から東に1,5キロメートルのところです。

 現地当局はこの報せに注目し考古学者を派遣、埋蔵の広さ2万余平方メ-トルとその内容が推定され発掘が開始され、すぐに世界の脚光を浴びました。1974年のことでです。
 埋蔵の個所は3箇所で発掘順に一号坑、二号坑、三号坑となづけられています。3つの坑の建築構造は同じで地下坑道式の土木構造大型建築です。
 深さ5メートルの坑を堀り、坑内の空間3メートルに陶俑を配列し立ち柱と土塀を組み合わせて棚木を被せ、葦を敷き黄土を埋めて坑道を作っています。

 一号坑は兵馬俑最大の軍陣があり東西の長さ230メートル、南北の幅は62メートル、面積14.260メートルでドーム形の大型体育館のようなところです。

 紀元前221年、秦の国王・嬴政(えんせい)は、戦国の乱世を勝ち抜いて天下統一を果たし、始皇帝と名乗りました。始皇帝は生前から自身の陵園の造営に着手しました。その巨大な陵墓の近くに埋められた8000体の陶製の兵士や馬―兵馬俑―は、20世紀最大の考古学的発見といわれています。
         

展示会では、最新の発掘成果を取り入れながら、秦王朝始皇帝にまつわる重要で多彩な文物を紹介してあります。西の小国であった秦は、かって黄河流域を中心に一大勢力を誇った西周王朝とどのような関係があったのか。     

また、近年明らかになりつつある秦の帝都と陵墓の実像とはどのようなものなのか。始皇帝は兵馬俑や銅馬車に何を託したのか。120件が展示されています。

 主な展示品 

 1 1号銅馬車、2号銅馬車―始皇帝の霊魂を載せた車とその先導役の車

 2 兵馬俑―8000体いわれる兵馬俑は、基本的に等身大で、顔の表情はすべて異なります。こうした徹底ぶりから、始皇帝が現実世界をそのまま引き写し、死後もなお皇帝であり続けようとしたことがうかがえます。

 3~将軍傭 兵馬俑 歩兵傭 馬蹄傭 軍馬 騎兵傭 立射傭 軍吏傭 雑技傭 騎射傭
      






2016年3月20日日曜日

温泉で心身ともに再生しよう!


 週に1回位、温泉に行き心身ともに再生しています。宮崎市から西へ車で3~40分位で行ける山の中にひっそり、佇む青井岳温泉です。
国道269号線で田野を過ぎ、しばらくゆくと谷の下にあります。豊かな自然が生きづく癒しの温泉です。 近くに流れる清流やアジサイが花咲く優雅な公園など、四季折々の自然を堪能できます。
とろみのある温泉、ぬるぬるしたお湯で肌がすべすべになります。美容に気をつかう女性の方にも喜ばれるそうです。お湯を口に含むと海水のように塩っぽい味です。
天然湯では塩湯は珍しく泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉です。効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性消化器病、 痔疾、冷え性、きりきず、やけど、慢性皮膚病、 慢性婦人病に効くとの事。 
温室は主浴風呂、電気風呂、高温風呂、水風呂、歩行浴、サウナ、露天風呂で構成されています。特にこの温泉が良いのは豊かなお湯を常に大量に、流しっぱなしにしているので風呂内が清潔なことです。サウナと水風呂の繰り返しで体の余分な脂肪と塩分を除き、広い歩行浴を30分歩くと体重が1Kg位減り、すっきりします。休憩室もあり、食べ物、飲み物を持ち込み、歓談できます。入口には産地の珍しい新鮮な農産物が並べられています。

宿泊施設・レストランも整っており、家族、ご友人、恋人等と出かけて、ひとときを過ごされてはいかがですか!


2016年3月15日火曜日

明鏡止水 

毎日散歩していると、びっくりするようなすばらしい景色に巡り合うことがあります。

上の写真は毎日見慣れている風景なのに、別世界に出会った感じで慌ててシャッター切った写真です。
まさに明鏡止水という景色ではないかと思いました。
()の状態、風、温度、太陽の傾き、時間帯、塩の干潮など条件が重なって、明鏡止水の状態を現出しているのではないかと推察します。
こんなチャンスは年に1~2度あるかないかではないでしょうか。
実はこの写真は上下が逆なのです。  判りましたか?  

明鏡止水を故事ことわざ辞書で引き、掲げました。
明鏡止水とは、邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態の例えです。
 明鏡」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「けいめい」とも読みます。
 「止水」とは、流れずに静かにとどまって、澄んだ水面のことを言います。
曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境をいいます。
『荘子・徳充符』にある「明鏡」と「止水」の二つの言葉を合わせてできた言葉です。
「明鏡」は、甲徒嘉のことば、「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり

(鏡がきちんと磨かれていれば塵は付かない、塵が付くのは鏡が曇っているからだ)」から引いています。


「止水」は、孔子のことば「人は流水に鑑みること無くして、止水に鑑みる。ただ、止まるもののみ能く、衆の止まらんとするものを止む(人は流水を鏡として使うことはなく、静止した水を鏡とする。ただ不動の心を得た者のみ、心の安らぎを求める者に対して、それを与えることができる)」からとっています。